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2018.01.26 Friday

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    イズレイト・ディスコ (21)

    2018.01.17 Wednesday

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       自分の気分が異常なまでに高ぶっているのに、水出は自分で気づいていた。体が震える。笑顔が隠せない。叫びだしそうだ。手足に落ち着きがない。昨日までとは違う感覚。水出は、伊豆の香りを吸い込み過ぎたために、ついにその精神の高ぶりようが常人の域を超えてしまった。これまでの水出穂乃を知っている人物なら、今の彼女の変化に驚くだろう。もともと暗い性格ではなく、むしろハキハキと話す方ではあったが、伊豆の香りが彼女の感覚を刺激し、理性のようなものを壊してしまったため、彼女を知っている人であれば飲酒を疑いたくなるほどである。彼女を知らない人であれば、関わらないようにしようと避けるだろう。それほどまでに、木曜日の水出穂乃は、ハイになっていた。

       ハイになっているとはいえ、頭が回らないわけではない。彼女は彼女としての自我を保っていて、今日までに自分がやろうとしていたこと――中野を手助けするという役目を、しっかりと覚えていた。そして高ぶった彼女の精神は、昼前に起きた彼女に、異常なまでの行動力を与える。起きてすぐに布団を蹴飛ばし、嵐のように着替えを済ませ、幸せそうに家を飛び出した。

       彼女の高揚感の源は、間違いなく伊豆玲斗であった。水出はそれを深く理解している。そして彼女は、伊豆玲斗に会うのが楽しみであった。連絡先も知らない相手。少しだけ言葉を交わしただけの、出会ったばかりの文藝部員。

       彼女はその感情に「恋」という名前をつけようかと考えたが、何だか合わないような気がして、それを当てはめるのをやめた。香りを楽しみたい。近くに寄りたい。役に立ちたい。褒められたい。にらまれたい。冷たくあしらわれたい。関わりたい。彼女の世界の中に、伊豆玲斗という存在のためのスペースを、広く確保したい。好まれようと嫌われようと気にしていなかった。とにかく彼女は、何らかの形で伊豆玲斗と関わらなければならないような気がしたのだ。

       そして彼女には、伊豆の香りを識別するための強力な嗅覚がある。家を出た彼女は、伊豆の香りのする方へ走っていった。

       

       食事を済ませた楓と伊豆は、残された昼休みの時間を使って、平井の居場所を突き止めることにした。

       食器を片付けながら、伊豆は眉をひそめていた。苛立ちではなく、怒りのようなものが見える。楓はそう判断し、さらに伊豆のことを考えてみた。

       伊豆は、苛立つことはあっても、怒ることはなかったのではなかろうか。楓には、苛立ちと怒りの区別があまりわからなかったが、伊豆の表情が、これまでと少し違っているように見えたのだ。ひそめた眉も、への字に下がった口角もこれまで通りだが、それらの動き方が違っているように感じた。

       平井は今どこにいる? そう投げかけてから、伊豆は何も話さなかった。平井に対しての怒りが、いったい何によるものなのか、楓にはわからなかった。物語の構成が悪かったのか。あるいは、平井の書こうとしている作品に似たものが既に存在し、世間に公表されているのか。さらにいえばそれは伊豆の好きな作品で――考えればきりがない。とにかく今は、伊豆と平井を会わせることが重要であった。

      「平井がいるかもしれない場所は、少なくとも俺たちがあいつを見たことある場所って意味だが、ふたつだな。ひとつは、文藝部。もうひとつは、図書館の前。文藝部にいるなら、中野さんあたりに相談中だろう。図書館の前にいるとしたら、執筆中かな。それ以外についてはわからねぇ。既に昼飯を食い終えて、次の授業の教室にいるかもしれねぇ。そうなれば、俺たちが平井の場所を突き止めるのは困難だろうな。特に授業が始まっちまったら、な。まさか授業中の教室を全てしらみつぶしに探るわけにはいかねぇからな。平井の所属が何学部なのかがわかればまだ絞れるかもしれないが、この時間中に見つけるのが理想的だろ。ちなみに伊豆くん、次の時間授業は?」

      「ない」

       ようやく伊豆は言葉を口にした。続けて何かを言うことはなく、何かを尋ねるような目で楓を見る。楓はその表情から何かを察して、笑顔で応える。

      「俺も次は授業がない。最大で2時間くらい探せるってわけだ。平井も空きコマであることを祈ろうぜ」

       食堂を出たふたりは、今後の行動の計画を立てる。

      「文藝部に入るのは、お前の方が楽だろうな。伊豆はそっちを探してみてくれ。俺は図書館の前に行ってくる。俺は特にあいつに用があるわけじゃないから、もしこっちで見つけたら、すぐに連絡を入れる。もし伊豆が見つけたら――特に俺には言わなくていい。好きなだけ不満をぶちまけてやれ。……と、いうわけで。頻繁にスマホは確認しておけよ?」

       伊豆は冷たくまぶたを閉じたまま頷いた。くるりと体の向きを変え、早足で楓のもとを去る。

      「あの剣幕のまま部室に入っていったら、中にいる人はびびるだろうな……」

       伊豆が視界から消えたのを確認して、楓は伸びをする。図書館の方を向き、鼻から息を吐く。

      「俺が先に見つけられますように。急にあんな状態の伊豆に声かけられたら、泣きたくなっちまうかもしれないからな」

       楓は走り出す。

       

       平井は、図書館前のスペースで、執筆を進めていた。物語を書くのに慣れていない彼は、いったいいつ作品が完成するのか、予想もできない。しかし、楓が隣にいる状態での作業を思い返すと、書くことが意外にも楽しいことのように感じられた。きっと、彼がいるところでなら、どんなことでも楽しく感じられるのだろう。平井はそんなことを考えて、タイピングの指を止める。

       ため息をつく。自分も楓のように明るく、楽しい性格であったなら、どれだけ人生が楽しかっただろうか。楓には楓なりに、苦しんだりつらいことがあるのかもしれない。しかし自分のように、静かに文章から感動を引き出し、しかしその感動をうまく伝えることができなければ、伝える相手もいない人間と比べるならば、生きる楽しみは何倍にも大きなものになるのではないだろうか。

       そうだ。自分は書く側の人間ではなかったのだ。本を読んで、感動する。受け手側、読み手側、そっちの人間だったのだ。それなのに、こうして今、自分は長編小説を書こうとしている。文藝部についての調査不足だったのだろう。名前から、本好きが集まっていると考えた平井だったが、話を聞いてみたら書く側の部活動。彼の性格もあって、今更入部希望を取り下げることもできなかった。

       そういえば楓は、希望をすぐに取り下げたといっていたな。平井は楓との会話を思い出す。もう文藝部とは縁がないのに、少しだけ会話をしただけの中野と、あれだけ楽しげに話をすることができる。やっぱり辞めますという言葉すら言えない自分とは違って、はっきりと入部を諦めると伝えた楓。しかもそれで後腐れすることなく、話を聞いてもらう機会を多く持った自分よりも、中野と仲良く話をすることができる……。

       改めて平井は、自分が作品を書く側に向いてないことに気づいた。おもしろい話を書くことができない。おもしろい本に感動することはできる。しかしその感動を、伝えることができない。いったい自分は、何を伝えることができるのだろうか。書き方を中野に教えてもらう。楓に励ましてもらう。やはり、受け手なのだ。自分から、何か矢印が出ていくことがない。本は好きになれても、誰かに恋をしたことはない。だから、恋愛小説を書こうと思っても、タイピングの手が止まってしまうのだ。

       どれだけの文字を書けば、長編小説として扱ってもらえるのだろう。あとどれだけの文字を打てば、せめて中編の小説として認めてもらえるのだろう。がんばりだけでも、認めてもらえないだろうか。短編小説のような短さになってしまったとしても、誰かが認めてくれないだろうか。中野なら、受け入れてくれる気がする。しかし、他の部員はどうだ? ここまで自分に親切にしてくれる文藝部員は中野だけで、他の女子部員はほとんど見たこともない。唯一の同性である伊豆も、平井にとっては怖かった。女子との会話が苦手な平井ではあったが、伊豆と会話をするくらいなら苦手な女子に囲まれていた方が楽な気がしてきた。ああ、なんて損な性格。損な人生。そんな人生だとしても、やめるのも怖くて仕方がない。

       パソコンの脇に置いてある書きかけのメモ。物語の展開は、途中までしか記されていない。隣には、誰もいない。励ましてくれる人も、教えてくれる人もいない。受け手でしかない自分。なのに今自分は、誰かからもらうことすらできない。文字を打ち込むことを強いられてはいるが、それを可能にするだけのアイデアや想像力も、モチベーションも、楽しみもない。せめて誰かが隣にいてくれれば……。

       文藝部に入ることができたら、作品を書き続けなければならないだろう。中野の迷惑になるようなことはあってはならない。楓から話を聞いて、そう感じることはできたが、そもそも入部テストすら突破できてない自分が、入部したあとに、がんばることはできるのだろうか。文藝部に楓はいない。ひとりになったら、書く楽しみも感じられない。結局、楓に励ましてもらいながらの執筆が楽しかったのも、執筆自体が楽しかったのではなく、楓の話や笑った顔が、自分を励ましていただけにすぎない。自分はいつまでも、純粋に書くことを楽しむことができないのではないだろうか。

       深いところまで落ち込んでいることに気づき、平井は頭を振って両腕を伸ばす。もう何時間も作業を続けている。風も冷たく、そろそろ指が動かしにくくなってきた。昼食の時間でもある。いったん作業を中断して、どこかで温まりつつ、食事を――

      「あのあの!」

       声がして、平井は振り返った。小柄な女性。

       風が強く吹く。平井はメモを押さえようとした。しかし間に合わない。メモは風に舞ってしまった。追いかけようと立ち上がるが、声をかけてきた女が平井よりも早く反応し、メモを追いかける。女は宙に舞うメモをジャンプしてキャッチし、再び平井に近づく。

       お礼を言おうと口を開き、手を伸ばした平井だったが、彼が言葉を発するよりも先に、女は鋭く言った。

      「聞きたいことがあるの」

       強い語気に平井はひるむ。

       何だ、この女は。これまでに感じてきた「女性が苦手」とは違う、奇妙な怖さ。平井は手を引っ込める。

       その女――水出穂乃は、右の指で摘んだメモを見てから、首を傾げてこう尋ねた。

      「このメモ、あなたのものじゃないよね?」

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