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2018.01.26 Friday

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    イズレイト・ディスコ (26)

    2018.01.22 Monday

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       部員から文藝部をやめるという話を聞いた時、中野は驚きを隠せなかった。半年近くともに楽しんできた仲間が、突然、やめようか悩んでいるという相談もなく、やめる意思を固めてしまっていたからだ。

       中野がさらに驚いたのは、それが連続して起こったことだった。5人の部員が、ほとんど間を空けずに退部の意思を示した。中野は、文藝部で何かあったのではないかと考えた。中野の知らないところで、何か事件のようなものが起こり、それを受けて、どんどん人が減っているのではないか。

       中野が部員たち――辞めようとしている部員たちも含め――に話を聞いてみたところ、これといって事件のようなものはなかった。文藝部の男子は伊豆しかいない。男女関係のもつれは、決してないだろう。女子同士のいさかいも、特に考えられなかった。

       辞める理由について中野に聞かれると、部員たちはみな同じように答えた。

      「書くのに、疲れちゃって」

       書くのが疲れない人なんかいないだろう。中野はすぐさま叫びそうになった。3人目からこの答えが返ってきたときは、叫ばないにしても、疲れない人なんかいないと、実際に声に出してしまっていた。そのときの居心地の悪そうな相手の顔が、中野はなかなか忘れられないでいる。

       つらいことも楽しいことも、何をやるにしても、生きるのには疲れが生じる。疲れない作業はない。疲れたあとに何か残るものがあれば、その疲れは達成感に変わるだろう。やらなければならない仕事であれば、乗り越えるべき苦痛として諦めがつくだろう。しかし、文藝部員にとって執筆は趣味だった。どちらかといえば、達成感を得るべきものであった。

       しかし、その達成感につながる「疲れ」を理由に辞めるということは、彼女たちが完全に「書く楽しみ」を失ってしまったことを意味している。疲れることに、疲れてしまったのだ。伊豆が謎の虚無感に襲われて、創作の楽しみを感じられなくなっているのと同じような現象が、同じ文芸部の内部で起こっていた。

       中野には、書くことが疲れるという感覚がわからなかった。多少は疲れはするが、彼女の作業効率がかなり高いものであったため、執筆作業が苦痛に変わる前に作業を終えていることが多かった。彼女には、辞めていく部員の、疲れたという気持ちがわからなかった。

       そして彼女は、辞めていく部員の、辞めたいという気持ちがわからなかった。これまで一緒にがんばってきた仲間。締め切りが近くなって、お互いに励ましあいながらキーを叩くあの音。それが大事なものだと感じていた中野は、自分だけがそう感じていたのではないかという思いに駆られた。あの音を思い出せば元気が出る。作業を諦めずに、もう少しだけ進められる。そう思っていたのは、自分だけだったのか。

       中野は、怒りを感じた。辞めようという相手に対してではない。ひとりでそれを感じていた、中野自身に怒りを覚えた。執筆を苦痛としか感じなくなってしまった仲間がいるのに、それに気づかず、自分は幸福感を感じながらパソコンを叩いていた。自分の頭を叩きたくなった。その場にいない仲間のことを思い浮かべて励みを感じるよりも、その場にいない仲間に実際会いに行って、話を聞いてあげるべきだったのだ。中野は自分を責めた。しかし、責めているだけでは話は進まない。今は、目の前のことに向き合うべきだ。変えられるかもしれない、まだ間に合うかもしれないことに取り組むべきだ。

       中野は、申し訳なさそうに視線を落とす部員――元部員――に、いつも通りの笑顔を向けて、可能性を信じてこう言うのであった。

      「せっかくだから、最後にもう一度、何か作品を書いてみない? 気が変わるかもしれないし、さ?」

       

      「引き受けてくれる人なんてほとんどいないと思ってた。ダメ元で聞いてみた。けど、私の予想とは違って、辞めるという話をした5人はみんな、秋の会誌のための作品を残していってくれた。悔しいことに、春や夏に書いてもらったものよりも、おもしろい作品を残してくれた。嫌々引き受けて、適当な作品が上がってくると思ったのに、彼女たちは全員、最高傑作を残していってくれたの」

       語りだした中野の顔から、水出は喜びのようなものを感じていた。部員が辞めた話。辞めてしまった話。暗い話。そうであるはずなのに、中野の顔には、光のようなものがあった。最高傑作。中野は、おもしろい話が好きなのだ。物語が好きなのだ。それを、部員たちが、仲間たちが残してくれた。嬉しかった。悲しむべきはずなのに、喜んだ。喜びたいのに、悲しかった。

      「あれだけおもしろいものを残せるのなら、どうして……」

       中野は黙る。水出はコーヒーカップをつかんだが、中身は入っていなかった。おかわりをもらう気にはなれない。それは中野も同じらしかった。カップを回す。少しだけ残ったコーヒーが回る。

       あれだけ面白いものを残せるのなら、どうして辞めてしまったのか。

      「中野さんはそのあと、辞めていく彼女たちに、どんな声をかけたんですか?」

       言葉を詰まらせた中野に、水出は質問を投げかける。

      「気が変わったかどうか、尋ねたわ。読み終えた感想も伝えたの。細かいところまで、よかったところを。悪いとこは伝えなかった。いいえ、悪いとこなんてなかった。完璧な作品を残していってくれた。辞めてしまうのがもったいないって。それでも、やっぱり、彼女たちは取り下げなかった」

       ダメ元で頼んだ最後の執筆は受け入れてもらえたが、ダメ元の最後の説得は、受け入れられることはなかった。文藝部は、5人になった。

      「そのパソコンには、何が書かれているんですか?」

       水出はパソコンを指す。中野はその指の先を見ることなく、目をつむった。

      「あなたの予想通りよ。辞めていった5人が、もし何か書くとしたら、どういう風に書こうと思うのか。そんな、私の想像が書かれている。元々は、私が書こうと思っていたネタ。けれど、これをあの人が書くとしたら、あの娘ならどうだろう。意外と、できてしまうのね。彼女たちが見たらどう思うかはわからないけれど、私が読み返してみると、もう、自分が書いたものとは思えない。彼女たちが書いたものにしか見えないの。幸せだったわ。辞めたはずの部員、いないはずの人。それが、いつまでもそばにいる。そう思ったら、取り憑かれたようにタイピングの手が止まらなくなった。いつまでも書けるような気がした。――けど、そんなことはなかった。思わぬところで、反作用が現れた」

       中野は、中野として物語を書くことができなくなってしまった。使い分けた5つの仮面は、彼女の表情を奪ってしまった。

       水出は、中野の言葉を思い出して、小さくつぶやく。

      「過去が、未来を吸い取ってしまったんですね」

       

       中野が嘘をついていた理由――事態をややこしくした理由は、水出には何となくわかってきた。言ってしまえば、中野は現実をうまく捻じ曲げようとしたのだ。噓をついてはいるが、噓をついていない。部員は辞めたが、辞めていない。そんな現実を、事実をつくろうとしたのだ。その結果彼女は、文藝部員を騙さなければならなかった。伊豆や部員たちの主張と異なる事実を、水出たちに伝えたのだ。

       しかし水出は、そこが妙に引っかかった。

      「どうして中野さんは、わざわざ私にひとりごとを言ったんですか? ネタを提供している。自分は書けない。間違いではありません。そうしてるのですから。けれど、言ってしまえば矛盾します。部員の数は、誤魔化せないかもしれません。いつか誰かに聞かれるでしょう。けど、自分が代筆――なんて言い方が正しいのかわかりませんけど、辞めた部員の立場で物語を書いていることを示唆するようなことを、どうして、私に?」

      「本当は、あなたじゃなくて、楓くんに言おうとしてたのよ。でもきっと、彼に伝えても、水出さんに情報が行ってたかもしれないけどね」

      「どうして、楓くんに?」

      「彼が、変えたからよ」

      「……何を?」

       中野は立ち上がる。

      「――伊豆くんを」

       

       楓と伊豆が出会った日。図書館前で執筆中の伊豆玲斗に、楓遊音が声をかけた日。月曜日のことである。

       中野はその時、たまたま彼らの姿を見かけていたのだ。

      「あの伊豆くんが、誰かに話しかけられて、あんなに喋るとこを見たことがなかったの。私は彼と、1年近く同じ文藝部で活動してきたけれど、楓くんがしたように、気さくに話しかけることはできない。独得な雰囲気の人だからね。同じ部活でも、全然彼のこと、わからなくて……。それなのに、楓くんは違った。楓くんは彼を変えた。変えてしまった。私たちが1年かけても近づけなかった伊豆玲斗に、いとも簡単に近づいてしまった」

       駅の外に出て、バス停のベンチに腰かけた中野は、隣に座った水出にそう語った。バスはしばらくやってこない。待っている乗客もいない。ふたりには外の空気が寒く感じられたが、ベンチのおかげで落ち着いて話すことができた。

      「無理があるってことは、自分でもわかってたのかもしれない。誰も、誰かの代わりになんてなれやしない。そんなことわかっているのに、よりにもよって、私が、私の求める人になろうとした。かつての仲間の代わりを探すのではなく、私が、彼女たちになろうとした。いざそうやってみたら……求めているはずの〔私〕がいなくなってしまった。そんな状況を、彼なら、楓くんなら変えられると思ったの。あの伊豆くんを変えたような人だもの。私の問題なんて、簡単に解決してくれるはずだって」

       中野はゆっくりと話す。それを聞いていた水出は、口には出さず、顔にも出さず、しかし、頭の中で中野の言葉を疑っていた。

       理由が、弱い気がする。水出はそう感じた。伊豆を変えることができたから、自分のことも変えられるかもしれない。たしかに、楓にはそれだけの力があるのだろう。だが、水出には引っかかっていることがあった。水出が、ドーナツ屋で中野に声をかけてから触れていなかったこと。そこを問い詰めれば、彼女の本音が引き出せるかもしれない。

       中野が静かになる。しばらく沈黙が流れた。水出は立ち上がり、中野の前に手を差し出す。

      「何の手かしら?」

      「――返してもらおうと思って」

       中野は笑って首を傾げる。

      「あなたから何かを借りた記憶はないわよ、水出さん」

       水出は首を振る。

      「私は何も貸していません。私のものではありません」

      「じゃあ、何かしら?」

       風が止んだ。

       

      「伊豆くんのメモを、返してください」

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