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2018.01.26 Friday

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    イズレイト・ディスコ (29)(終)

    2018.01.25 Thursday

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       中野は伊豆にちょっかいを出した。彼女の言葉を借りるなら、いたずらをしたのだ。では、何のために?

       伊豆が居眠りしている間に、中野は彼のメモを抜き取った。そしてそれらを文藝部の部室に落とし、平井と水出が拾うように仕向けた。メモの内容を参考にして平井と水出が入部テストのための小説を持ち込んでくる。それらを伊豆に見せる。中野は「不思議ね。同じような話が、たまたま一緒に来るなんて」というようなことを言おうとしたのだろう。しかし、伊豆からすれば不思議どころの騒ぎではない。消えたメモの内容が、盗作されたようなものなのである。それも、ふたりに。伊豆は驚くだろう。ショックを受けるだろう。怒るかもしれない。悲しむかもしれない。では、何のために?

       中野が伊豆にいたずらを仕掛ける理由がない。証拠がない。中野自身は口にしなかった。その代わり、水出は中野のメモと中野の作品を見た。そこから得られる情報だけが、水出の推理の材料である。

       中野は伊豆のメモを、自分でも持っていた。自分で、使っていた。伊豆のネタを元に、彼女は作品を書いていたのである。辞めてしまった5人の部員。彼女たちのフリをして5作品を執筆するのと平行して、彼女は伊豆玲斗になろうとした。では、何のために?

       中野は、伊豆のことが好きだった。

       

      「彼、とても素敵な人だと思うの」

       流れる涙をそのままに、小さく中野が呟く。水出はハンカチを差し出したが、自分は泣いていないとでもいうように、中野はそれを受け取らなかった。

      「わからないけど、きっと、他の部員たちも同じことを思ってるんじゃないかしら。辞めていった人たちも、きっと。伊豆くんがみんなの前で話したり、誰かと話したりすることって、すごい珍しいんだけど、そういう場面になるとみんな、すごい緊張してた。それは、私も含めて。彼のことが怖いという気持ちはあったと思う。何を考えているかわからないという気持ちも、あったと思う。だけど、それよりも、説明できない魅力のようなものが、彼の動く口や紡がれる言葉から漂ってくる。……匂いをたどる人は、見たことなかったけど」

       最期の言葉で、中野が笑う。水出も笑おうとしたが、笑えなかった。

      「でもね。不思議なことに、誰も伊豆くんの話をしようとは思わなかったの。彼、いい感じよね。そんな言葉はもちろんのこと、まるで、彼がいないときは、この世に彼がいないかのように、まったく話題になることがなかった。平井くんが来てからは、何回か彼のことが話題になることはあったけれど、それでも誰も、伊豆くんの話をしたがらない」

      「それは単純に、彼のことがみんな、苦手だっただけでは――」

      「苦手でも、好きなものってあるでしょう? 絵がうまいと褒められたことがなくても、絵を描くのが楽しいと思う。おもしろいと言われたことがなくても、物語を書くのが楽しいと思う。それと同じよ。ちゃんと意思疎通できたことはないけど、なぜか好きになる。特に私は、彼から原稿の提出を受けることがあるから、なおのこと。彼から何か送られてくると、冷静じゃいられなくなってしまう。何か頼まれたら、急ぎの用じゃなくても全力で取り組んじゃう。この間も、楓くんの連絡先を聞かれたとき、本当なら彼の許可を得てからじゃないといけないと思いながらも、居ても立ってもいられなくて、楓くんの許可なしに、彼の連絡先を伊豆くんに送ってしまった。そして同時に、ショックでもあった。ああ、やっぱり、彼なんだ、って」

      「いつ頃から、伊豆くんのことを……?」

      「出会ってすぐじゃないかしら。去年の、4月とか、5月とか」

       出会ってすぐに惹かれた男。何度かの会誌出版を経て、1年近く関わってきた男。それでも全く、仲良くなれなかった男。話をするとき、話を聞くとき、緊張せずにはいられなかった男。決して、心を開いてくれなかった男。

       その男が、一瞬で、楓遊音に心を開いたのだ。少なくとも中野には、そう見えた。

      「ショックだった。私たちが――私がどれだけがんばっても振り向いてくれなかった彼が、いとも簡単に、楽しげに――大笑いはしてなくても、まんざらでもない様子で、男の人と話をしている。それが、ショックだった。ああ、近づくことすらできなかった伊豆玲斗が、盗られてしまった。私のものじゃなかったから、所有権を主張できるわけではないけれど、私のものにならなくなってしまった。そんな気が――」

       ここまで話をして、中野は頭を振った。

      「……ごめんなさい。口にすると止まらなくなりそうだったから、メモとパソコンだけを見せたのに。話し出したら――ごめんなさい」

       答える代わりに水出は、もう一度ハンカチを差し出す。中野はそれを受け取り、顔を埋める。声は漏れていない。ハンカチに沈んだ中野の顔は、小刻みに震えていた。

      「最後に、ひとつだけ、聞いてもいいかしら、水出さん」

      「ええ」

       頷いても、ハンカチで顔を覆っている今の中野には見えない。水出は小さく、しかし、はっきりと言った。

      「伊豆くんのこと、どう思う?」

       水出は、考えた。伊豆のことではなく、中野のことを想った。彼女が求めている答えを、それでいて、決して自分に嘘をつかずに済むような答えを考えた。考えるまでもなかった。

      「彼は、素敵な人です。中野さんの目は、間違ってません」

       

       中野はどこかへいってしまった。どこにいったかはわからない。授業の時間までまだある。教室は空いてないかもしれない。水出は、彼女を追いかける気にはなれなかった。そもそも水出は、楓と伊豆を呼んでいるのである。それに、今中野のそばにいたとしても、できることは何もないだろう。

       素直に心情を告白した女性の、なんと美しいことだろうか。水出は震えた。自分に、あれほど美しくなる瞬間がくるとは思えなかった。積み重ねたものが、爆発する瞬間。溢れだす瞬間。それでいて、強く、堪えようとする姿。それの、なんと美しいことか。

       ポケットには、伊豆のメモ。中野が持っていた、最後のメモが入っている。水出はそれを取り出し、顔の近くに持っていく。息を吸い込む。伊豆の香りがする。彼女は混乱していた。なぜこの力が、中野ではなく自分に与えられたのだろう。出会って1週間足らずの水出に与え、1年近く伊豆を想い続けた中野に与えなかった理由は、いったいどこにあるのだろうか。その気になれば、いつでもどこでも伊豆の香りを嗅ぐことのできる感覚。その気になれば、伊豆の居場所を発見できる力。それがなぜ、自分に与えられたのか。これを必要としているのは、中野ではないか。彼女にこそ、今の彼女にこそ、伊豆がいなければならないではないか。美しいものが、その美しさの元となった悲しみと一緒にいなければならないことへの理不尽さに、水出は怒りのようなものを感じた。

       しかしそれでも、水出にこの感覚が与えられたことには意味があるのだ。彼女はそう考えることにした。このタイミングで、楓が伊豆と出会い、伊豆を自分の世界へ連れ去ってしまったのには、意味があるのだ。そうでなければ、中野が不憫ではないか。

       水出は、中野の最後の質問を思い出す。伊豆のことを、どう思うか。これは、中野がずっと誰かに言いたかった言葉。しかし、誰にも言えなかった言葉。誰も言えなかった言葉。誰もが伊豆に魅力を感じながらも、彼の持つ不思議な雰囲気――もはや、能力といえるかもしれない――のせいで、伊豆のことを話題にすらあげられなかった。高まる想いを誰にも打ち明けることができず、そのために、自分の感覚を疑ってしまうほどの抑圧を感じてしまったひとりの女性。

       伊豆のせいか。中野のせいか。周りの文藝部員のせいか。水出は怒りの矛先を見つけようとした。しかし、見つけられなかった。誰も、悪くないのかもしれない。誰もが、悪いのかもしれない。誰かが伊豆のことを話題にすれば、誰かが伊豆への好意を打ち明ければ、中野は気が楽になったかもしれない。だが、彼のことを、特に、彼の魅力について語ることのできる人物は、どこにもいなかった。誰も、中野を認める人がいなかった。中野自身さえも、中野の感情を理解できなかった。誰も素敵だと言わない人物に魅力を感じている自分。その感覚を嫌った。けれど、伊豆のことは嫌いになれなかった。

       楓ではだめなのだ。中野には、楓が伊豆を奪っていったように見えたが、楓は中野の感情を、理解することができない。彼女の代わりに、伊豆が、女性にとって魅力的であるということはできない。楓の伊豆に対する眼差しと、中野の伊豆に対する眼差しは、根本的に異なっていたのである。

       この話を、伊豆に伝えるのはどうだろうか。楓なら、どう反応するだろうか。水出はそこまで考えて首を振る。だめだ。伊豆に魅力を――男性としての伊豆玲斗に魅力を感じる誰かが、伊豆の魅力を口にしなければならないのだ。文藝部には、伊豆のことを話題にできる環境が整っていなかった。壊れてしまっていた。どれだけ伊豆のことを想っても、誰も言えない。それだけ伊豆の不思議な魅力が、彼女たちを凍らせていた。

       だから中野は、文藝部の外にいる女を求めた。それが、水出だったのだ。

       伊豆は文藝部に残るだろうか。おそらく残らないだろうと、水出は自答する。中野についての話をしなくとも、平井の件がある。伊豆からすれば平井は、彼の作品を盗作した人物なのだ。そんな男が入部しようとしている文藝部に、伊豆が今後も残り続けることは考えられなかった。

       中野はもう、伊豆に会えないかもしれない。彼女の伊豆への想いは、水出しかしらないまま、墓に葬られるのだ。水出は胸が痛むのを感じた。中野の無念は、決して誰にも晴らせない。水出にも、どうすることもできない。

       だからせめてと、中野は伊豆になろうとしたのだ。伊豆玲斗のそばにいることはできない。彼に気持ちを伝えることもできない。伊豆の前で凍りつかないでいられるのは、楓くらいだった。中野は楓にはなれない。中野は凍らずにはいられない。それならば、彼女が伊豆になればいい。伊豆の考えた物語を模倣することで――メモを自分なりに解釈し、中野であり伊豆玲斗である執筆者として創作活動に励むことで、中野は最後に、離れていく伊豆を繋ぎ止めようとした。彼女が、辞めていった部員に対して行ったのと、同じように。

       それには、伊豆の考えを知る必要があった。辞めていった部員との思い出は多く、中野は容易に彼女たちを再現することができた。思い出を辿り、思い出の中の部員たちを投影すれば、物語を記すことができた。しかし伊豆のことは、わからなかった。中野は伊豆に、感情移入できなかったのだ。だからメモが必要だった。思い出を自分の中に取り入れることができないなら、伊豆の考えに溺れる必要があった。部員たちの思い出を大切に抱えるのではなく、伊豆に包まれる必要があった。

       水出ができること。水出のやりたいこと。それは、中野の無念を、彼女の一部とすることだった。中野に与えられるべき力を持ってしまった人間として、彼への想いを留めておくわけにはいかない。

       自分は中野ほど美人ではない。水出は自重して笑う。中野ならどんな顔をするだろうか、どんな表現を使っただろうか。そんなことを考えてみても、彼女は中野にはなれなかった。中野になりたい。中野になれない。彼女は、水出穂乃だった。中野を幸せにしたかもしれない力を持ってしまった、水出穂乃だった。

       二度と中野のような女性を生まないようにしなければならない。誰もが伊豆の魅力を口にすることができる、そんな世界をつくらなければならない。世界だなんて大袈裟だなと思いながら、水出は真剣に考えざるをえなかった。

       伊豆には魅力があるのだ。彼に魅力を感じることは、間違いではないのだ。それを伝える存在にならなければならない。伊豆に魅力を感じていることを、いつも誰かに訴えかける誰かにならなければならない。

       水出は息を吐き尽くした。メモを鼻の前に持っていく。空になった肺を満たすように、伊豆の残り香を吸い込んだ。残り香ではあるが、長い時間吸い込んでいると気が狂いそうになった。直接嗅いだためであるが、伊豆の香りのせいで水出は一度倒れている。嗅覚を壊している。知ったことではない。

       誰よりも伊豆のことを好きにならなければならない。伊豆の魅力を、伝えなければならない。伊豆に伝え、伊豆の周りに伝える。それが必要だ。それが、自分の役割だ。

       くらくらしている。知ったことではない。限界まで息を吸い続ける。伊豆に狂わせられる。吸う。吸う。吸う。これ以上、吸えなくなった。伊豆で頭がいっぱいになった。水出は笑う。

       メモを返そう。楓とも仲良くなろう。伊豆の魅力を、みんなに伝えよう。

       

       水出穂乃は、伊豆玲斗のことが大好きになった。

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