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2018.01.26 Friday

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    イズレイト・ディスコ 〜エピローグ〜

    2018.01.26 Friday

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       笠根拓成(かさね たくなり)はストローをくわえたまま、伊豆の話を黙々と聞いていた。その日の授業が終わったら図書館前に来るようにと、伊豆に呼び出されていたのである。まさか、彼と再び会うことになるとは思っていなかった。笠根は、自分がネタを提供し尽くした段階で――ある事件が解決した段階で、伊豆からの興味を失っていたのだと思っていたのである。

      「いや、もうお前に興味はない」

       いざ口に出してみると、伊豆は冷淡に笠根の言葉を否定した。彼らしいなと、笠根は思う。

      「今日お前を呼んだのは、お前が俺の物語のモデルだからだ。物語の状況と、今後の俺の話をしておこうと思った」

       笠根の反対側に座る伊豆は、笠根と同じ、紙パックのコーヒー牛乳を飲んでいる。笠根が彼におごったものだった。伊豆はひとくちストローからコーヒー牛乳を吸い込むと、それを飲み込み、一気に話し出した。

      「結果から言うと、物語は完結した。少々ごたごたして、一時はどうなることかと思ったが、どうにか完成して、文藝部の部長に提出してきた。春の会誌に、お前をモデルにした長編小説が文藝部から販売される」

      「その分の金を用意しておくよ。あいつには見せられないから、自分の分だけ買うけど。……結局、その部長さんは何を思って、メモを隠すみたいなことをしたんだろうな」

       伊豆は首を振る。

      「メモを取り返した女――水出というんだが、そいつが色々知っているだろうに、俺たちに話をしないんだ。まあ、今となってはメモも返ってきて作品も完結したから、背景なんかどうでもいいんだが」

      「冷たいな。もう少し気にかけてやった方が、中野さんとやらも喜ぶだろうに」

       水出からメモを受け取った伊豆は作品の執筆を再開し、猛スピードで完成させてしまった。メモを受け取った次の週には、伊豆は物語を書き終えてしまったのだ。

      「そんなに一気に書かなくてもよかっただろうに。楽しみは、取っておいた方が――」

      「もう楽しみじゃなくなったからな」

      「……どういうことだ?」

      「俺は文藝部を辞める。退部については、今日の朝、中野に話をしてきた」

       笠根は驚く。ストローをかむ。考える。

      「ということは、俺の実体験を元にした小説が、伊豆先生の最後の作品になっちまったわけだ。なんか、申し訳ないな」

      「お前のせいじゃない。色々あった。それだけのこと。続ける意味なんて、元々なかったんだ」

       伊豆はコーヒー牛乳を飲み切った。少量残ったコーヒー牛乳が、空気と混ざって音を立てる。伊豆がメモをめぐる事件のことを一方的に語ったのに対して、笠根拓成は聴く側に回っていたので、飲みものの減りには大きな差があった。笠根はパックを持ち上げる。飲み終わるのには、まだまだ時間がかかりそうだ。

      「それを伝えるために、わざわざ先生は時間をつくってくれたわけだ」

      「そういうことになる。大した話じゃ、ないがな」

      「じゃあ、俺も今後会誌を買う必要がなくなったかな。元々、お前の作品に惹かれて、毎度買っていたわけだし」

       伊豆はまだ、帰ろうとしない。話し終えた。用は済んだ。それなのに、帰ろうとしない。笠根の知っている伊豆であれば、用が終わったらすぐに帰ろうとしていたのに。彼の中で、何かが変わったのかもしれない。笠根はそう思った。

      「文藝部と縁が切れたなら、本当にお前、誰とも話をしなくなるんじゃないか? ただでさえ人格に難ありなのに、それに拍車が――」

      「その心配はないだろう。社交的になろうというわけではないが、俺にしつこくつきまとってくるのが何人かいるんでな」

       中野の一件が落ち着いてからも、楓は伊豆と関わりを持とうとした。週のはじめに楓はついに、幼なじみである富木智香を伊豆に紹介したのである。伊豆には、知り合いが増えた。増えてしまった。

      「これまで通りにはいられないかもしれないってことだな」

      「ああ。きっとあいつは、俺の生活にちょいちょい介入してくるだろう。まあ、ある程度気は利くやつだから――頭は悪いが――あまりこちらも困りはしない」

       伊豆から文藝部を辞める意志を中野に伝えるという話を聞いたときに、楓は文藝部の部室まで付き添った。楓のおかげで、中野は少し笑顔を見せていた。伊豆とふたりきりで、文藝部を辞める話をされたなら、葬式よりも重々しい雰囲気になるだろうことを、楓は察したのである。とはいえ、水出が知っている、中野の伊豆への想いを楓は知らなかった。葬式になるのを察して、少しでも場の雰囲気を和らげた楓であるが、ある意味では空気が読めなかったのかもしれない。結局中野は、伊豆に想いを伝えることはしなかった。伝えることができないという結論が出ていたとはいえ、伝えることのできる雰囲気――ふたりきりで話をする機会を、結局得ることができなかったのである。

       そして伊豆玲斗は、二度と文藝部を訪れることはない。

      「ついに男子部員がいなくなってしまったんだな」

      「どうだろうな。平井が、書き終えるかどうかだ」

      「読む側の人間なんだろう? どうなることやら……」

       笠根が手を小さく広げると、伊豆は突然に立ち上がる。

      「どうかしたか?」

      「そういうわけだ。もう会うことはないかも知れないが、達者でな」

      「は?」

      「すまない。やつが来る」

       伊豆は走り出した。急に呼び出されたと思ったら、急に解散。あの伊豆が、全力疾走をしている。笠根は、何が起こったのかわからないでいた。ストローを吸う。しばらくすると、目の前をひとりの女が駆け抜けていった。小柄な女が、伊豆の方向へ消えていく。偶然ではあるまい。彼女は、伊豆を追いかけているのだ。

      「ついに、女に追われる身にまでなったか。……女に追われるっていうか、バケモノに終われているかのような雰囲気だけど」

       走る女の顔はよく見えなかったが、きっと彼女が水出なのだろうと、笠根は推測する。メモ事件に多大なる貢献をした、伊豆と出会ったばかりの、ひとりの女。これまで伊豆の世界にいなかった女。伊豆の心の壁のようなものを破壊して、ずけずけと踏み込んできた人間のひとり。

       することもなく、ひたすらにコーヒー牛乳を吸い込んでいると、しばらくしてから、今度は笠根に向かって誰かが走ってきた。体が小さい。さっき、伊豆を追いかけていった者だろう。女は目の前で止まる。前のめりになって、笠根に顔を近づける。

      「あなた!」

      「は、はい」

      「伊豆くんの、知り合い?」

       笠根は頷いた。女は続ける。

      「伊豆くんって、素敵よね?」

       飛びきりの笑顔が、そこにあった。否定したら殴られるのではないかという剣幕である。

      「ああ」

       笠根が目を丸くしたまま肯定すると、女はさらに笑ってから、「ありがとう」と礼を言って、また同じ方向へ消えていった。

       嵐のような女だ。というか、女のような嵐だったのかもしれない。笠根は笑った。あんなのが、伊豆の世界にやってきたのか。これまで通りでいられるはずなんてないな。笠根は、応援のメッセージ、そして別れのメッセージを伊豆に送ろうと、スマートフォンに文を打ち込んだ。書き途中で、全て消した。

       伊豆には、またどこかで会えるだろう。以前のように、今日のように、向かい合って話をするような機会はないかもしれない。しかし、あれだけ爆走していれば、どこかしらで、レースをしているのが見られるかもしれない。せいぜい、あれにぶつかられることのないようにしなければ。笠根はスマートフォンをしまった。

       笠根拓成は、少しではあるが、伊豆のことを知っていた。しかし、その知っていた伊豆玲斗が、変わっていく。奇妙な気持ちだった。テコでも動かないような男だと思っていたが、さすがに嵐が吹けば動かざるをえないらしい。

       笠根の前には、伊豆が置いていった空のパックが置いてある。ストローからの音が変わった。笠根もついに、飲み切った。伊豆のパックと自分のパックを片手にひとつずつ持ち、立ち上がる。

       ふと笠根は、過去の伊豆との会話を思い出した。

      「……これを書いたら、俺は物書きをやめよう」

       ひと月ほど前の、笠根の事件。それが解決したとき、伊豆が笠根の話のメモをつくるのをやめたとき、伊豆はそんなことを言っていたのだ。

      「あのとき既に辞める気だったのに、改めて辞めることにしたなんて言ったってことは……さてはあいつ、自分で辞めるつもりだったこと、忘れてたな?」

       笠根はひとりごとを言った。誰も返事はしない。笠根は笑った。

       あの男は、自分が話を書くのを辞めると言ったことを、忘れていたのだ。そしてついさっき、同じことを言った。俺の話を書いてるうちに、なんだかんだ楽しくなっていたのかもしれない。辞めようという想いを、忘れてしまうくらいには。

       文藝部に戻ることはないかもしれない。伊豆の話を聞いていたので、仮に文藝部に残ったとしても、中野や平井との間の溝は、どうしようもないだろう。しかしまた、きっと。

      「あいつはきっと、文藝部のことなんて忘れて、何かまた、話でもつくるんだろうな」

       そもそも伊豆は、ひとりが好きなのだ。ひとりでいたら、考える。つまらない現実から逃げるために、物語が形成されていく。伊豆は、その性格的に、創作せずにはいられないのだ。

       いや、ひとりにしてもらえないから、しばらくは考えることもないのだろうか。しかし、どうだろう。わからない。もしかしたら、ひとりにしてもらえない伊豆が、ひとりにさせない誰かと一緒に、物語を考えるなんてことも、ありえるのかもしれない。

      「それでも、だいぶ先のことかな」

       笠根はゴミ箱の方へ歩いて行き、空のパックをふたつ詰め込む。スマホで時間を確認した笠根は、彼を待つひとりの女との待ち合わせ場所に向かって、歩きはじめた。

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