スポンサーサイト

2018.01.26 Friday

0

    一定期間更新がないため広告を表示しています

    胃の中の蛙、蛇に気づいてもらえず

    2016.03.19 Saturday

    0
      「また新しいのだね」
       特に深い意味もないが、私の口からそんな言葉が漏れだした。自分でも驚いている。そんなことを言っても、誰も幸せにならないのに。もしかしたら、私の不注意で彼を傷つけてしまったかもしれない。
       別に覗こうとしていたわけではない。けれど、彼のカバンの中にきらりと光るものを確認してしまったから、私の気の利かない唇は反射的に言葉を紡いでしまった。
       彼は私の言葉に動きを止めて、こちらを見る。長い前髪から覗く眼には、不快感のようなものは見受けられなかった。
      「ああ、そうだな」
       彼は私の言葉に対してただ義務的に返すように口を開く。カバンに突っ込まれた腕が引き抜かれ、一緒にライターを釣り上げてくる。読めない。読めないけど、おそらくは英語か何かで書かれたホテルの名前。
      「今度はどんな娘と?」
      「気になる?」
      「いや、別に」
       私は彼から顔をそむけ、否定の言葉を伝えた。しかし彼はそんなことお構いなしで、しれっと話を続ける。
      「授業で一緒になった女の子」
       彼はライターの火をつけると、細い炎を見つめて、ぼうっとしながら答えた。前髪が燃えるんじゃないかとハラハラしながら見ているが、彼の場合燃えてしまった方がいいのではないかとも思う。
      「授業で一緒になっただけの女の子と肉体関係を持てるなんて、相当モテるみたいだね」
      「相当モテるんだって」
       何度も消しては灯してを繰り返し、彼はライターの先から発生する弱々しい火を、まるで足元に寄ってきた子猫を見るような目で捉える。そのまま、小さな炎の中に飛び込んで行ってしまうのではないか。そんなことをふと思った。
       ライターをカチカチするのに飽きたのか、彼はそれを再度カバンの中に放り込み、枕を無視する形でベッドの上に寝転ぶ。
       それ、私のベッドなんだけどな、などとは思わない。むしろ彼に遠慮がなくなってきたので私としては嬉しい限りである。
      「どうだった?」
       私はなんとなく、彼の顔を見下ろして尋ねてみる。長い前髪がはらりと落ちて、男性とは思えないほどつるりとした額が露わになった。横に大きい黒い瞳が、下から私を見上げてくる。
      「どうだった、って。感想聞いてどうする」
      「今後の参考にしようと思って」
       私の回答は惰性で答えたものであった。彼の方も、私のことをある程度理解しているだろうから、それが冗談だと思いつつ、丁寧に答えてくれる。吊り上っている眼が、なんとなく垂れ下がったように見えた。
      「かわいい娘だったよ。まったく経験がなかったわけではないだろうが、おそらくこれまでの相手が身勝手だったんだろう。じっくり時間をかけてするっていうことに慣れていなかったらしい。どうせすぐ終わるだろう、もう少し耐えればいい。最初はそんな表情が窺えた」
       体を起こし、ベッドの近くにあるテーブルの上から彼はグラスをひとつ取る。スパークリングワインの入った、飲みかけのグラス。卓上にあるグラスのうち、より残りの少ない方が彼のものだ。ベッドに座ったままワインを口に含むと、炭酸がはじけ終わるのを待つように、彼は目をつむった。私は彼の横顔をじっと見つめる。目は合いそうにない。
       喉元がかすかに動いて、彼は一息つくと、言葉を続けた。
      「それがだんだん、なるほど、我慢しなくていいんだ、こういうものなんだ。そんな、喜びや恥ずかしさといったような表情に変わっていったのさ」
      「その娘が快楽に目覚めてしまうほど、君は床上手なんだね」
       嫌味っぽく私が言うと、彼は顔の向きは変えず視線だけをこちらに流し、目を細め口角をにっと上げる。ワイングラスをテーブルに戻すと、今度は私のグラスを持って差し出してきた。お前の話聞いてるだけじゃなくて飲め。そんなアイコンタクト。私はそれを受け取って、じっと彼の目を見る。やや沈黙があって、彼がグラスから手を放す。
       彼はうつむきながら小さくこうこぼした。目は愁いを帯びているが、口元は明らかに笑っていた。
      「求められているものがわかるだけさ」



       彼は私の友人である。恋人ではない。彼は私のことが好きというわけではない。私もそれは同じである、たぶん。
       彼には特定の恋人がいないが、その妙な色っぽさから女の子ウケがよく、頻繁にいろいろな女の子と寝ている。そのうち刺されるんじゃないかといったこともあったが、それに対して彼は「こんなことできるのも大学生のうちだ」と答えた。まあ、その通りである。「刺されるんじゃないか」という疑問に対して的確な答えではないが、この際それはどうでもいい。
       探せばいろいろあるもので、彼は女の子と寝るたびに別のラブホテルを開拓してくる。毎回のように、行く場所を変えているのだ。もちろん、ラブホテルの数よりも彼が女の子と寝る回数の方が多いので、何度か周回しているわけではあるのだが。
       彼はいろいろな女の子と関係を持っているが、そこに彼の恋愛はない。女の子の方はおそらく彼に対して一定以上の好意があるのだろうけど、彼は義務的に、求められていることに対して応答しているだけである。彼自身が求めているというわけではない。肉体関係だけを期待したお遊びの方がよほど愛があるだろう。お遊びには肉体への愛があるが、彼にはまったくそれがない。そんな気持ちで抱かれても、気分のいいものではないだろうに。私はそう思っているのだが、どういうわけか彼のことを好きになる女の子たちは、あまりそれを気にしないらしい。
       以前彼と話をしたときに、こういったことがある。
      「誰とでも寝れるんだね、君は」
       嫌味っぽくいってみたつもりだったが、彼は笑って返してきた。
      「寝たいか寝れるか寝れないか、ただそれだけのことだよ」
       どういうことだろう。
      「生理的に抱くことができないだろう女ってのは一定数いるだろう。けど、そんなに多くはない。大半の女は、寝れるカテゴリーに入ってるんだ。生理的に無理というわけではない。金を出されたら寝てやるよっていう相手とでもいうべきだろうか」
      「寝たい人っていうのは?」
      「そのままの意味だよ」
       彼は少しだけ暗い表情になった。
      「積極的に、抱きたいと思う相手だ」
      「なるほど。じゃあ、君は生理的に抱くことができないだろう女性以外なら、誰とでも寝れるってことなんだね」
      「そういうことになるな」
       その時も彼は、ライターをカチカチと指で鳴らして遊んでいた。
      「こいつを抱くくらいなら死んだ方がマシっていう相手か、抱け、さもなくば殺すぞといわれたら抱く方を選ぶだろう相手かって話だな」
      「積極的に抱きたい場合は?」
      「そうだな……。死んでもいいから、この人と抱き合いたいって思う相手、だろうな」
       死んでも抱けない人、死ぬくらいなら抱く人、死んでも抱きたい人。
      「死んでもいいからこの人を抱きたいって、思ったことある?」
       私が尋ねると、彼は指を止めてライターをぐっと握る。ライターを強く握りしめたその右手を見ながら、彼はぼそりとつぶやいた。
      「まあ、ひとりだけ」



       求められているもの、ねぇ。
      「女の子たちは、何を求めているの?」
       彼の顔は見ず、グラスの中のアルコールを口に含みながら私は尋ねる。
      「求めるものは、人それぞれ違っているさ」
      「たとえば?」
      「誰とでも寝ちまう、ビッチの例を考えてみようか」
       自分のことか。
      「行為自体が好きで好きでたまらない、肉体的な快楽に溺れることを望んでいるタイプのビッチであれば、とにかく身体的な情熱、肉欲的な激しさが必要になるわけだ。相手はとにかく性的な刺激を求めているのだから、そこに愛の言葉なんて必要がない」
      「よくわからないけど、誰とでも寝る人ってみんなそうなんじゃないの?」
       グラスを置いて、私は冷蔵庫を開ける。テーブルの上にあるワインの瓶はもうすぐ空になる。しっかりしたものはないけれど、缶チューハイを中に確認した私は、それをふたつ取り出す。冷蔵庫を閉めて、しゃがんだまま振り返りテーブルの上に冷えた缶を乗せる。指先が冷えてしまったので、屈めた膝の裏に挟んで温めておく。
      「ロマンスを求めているビッチがいるのであれば、そいつに肉体的な奉仕はほとんど意味をなさないのさ。そいつが求めているのは肉体的な快楽ではなく精神的な安心感だからな」
      「と、いうと?」
      「激しくちゃいけないというわけではないが、激しさよりもロマンスを重要視するべきだということさ。かわいい、綺麗だ、我慢できない、素敵だ、美しい。これらの愛の言葉を、できるだけ切実であるかのように届けてやるのが、ベストだということになる」
      「切実であるように?」
      「追いつめられると、人間は素が出るだろう?余裕がないようにふるまって見せて、その状況で相手の求めてる言葉を言えば、それっぽいというわけさ」
       彼はベッドから降りると、膝で手を温めている私のところにしゃがみ込む。彼は両腕で私のことを抱きしめると、私の耳に顔を近づけた。息がかかる。
      「綺麗だよ」
       なるほど。
      「恥ずかしくないの?」
      「顔は見せないから、意外と恥ずかしくないのさ。息を多めに使うのがコツだ」
       コツっていわれてもなぁ。
       彼は私から離れると、何事もなかったかのようにベッドの上に再び座る。うんと両腕を伸ばしている彼を見て、私も温まってきた手を脚の間から引き抜いて、立ち上がる。勉強用の机の上から箱を取って、彼の隣に座る。
      「ライター、貸して」
       彼に手を差し出して私がそういうと、彼は自分のカバンの中を漁って、先ほど見えたライターを私の手のひらに乗せる。ひんやりとした感覚があって、せっかく手を温めたのになぁと感じた。
       私は手に持った箱からタバコを1本取り出すと、彼から受け取ったライターで火をつけて、一服を始める。客人がいるから本来であれば外で吸うべきであるのだが、彼が相手だからそこまで気を遣わなくてもいいだろうという謎のルールを適用しておくことにした。彼だって、我が家のように私の家を利用しているのだ。私だって彼をいないものとして扱っていいはずである。お互いに気を遣わないというのが、私たちの間にある暗黙のルールなのだ。ここで気を遣う方が、契約違反なのである。



       彼は女の子と寝るたびに、ラブホテルのライターをもらってくる。それってもらってきちゃっていいのかなと毎回思うのだが、まあそんなに高いものでもないし、問題はないのかもしれない。あるとすれば、清掃員の方が「げ、ライターねぇじゃねぇか」と気づいて新しいものを用意する手間が生じるくらいだろう。
       彼が現在進行形で恋愛しているかは別として、彼が恋愛ごっこに付き合ってあげるたびに、彼のライターが増えていくのである。彼の持つライターの数は、そのまま彼が抱いてきた女の子の数になっているのだ。
       彼自身、タバコは吸わない。それなのに、ラブホテルからライターをもらってきているのだ。まったくの無駄である。意味など、そこにはないのである。使えるから持ってきてしまうのではない。使えるかどうかとは違った次元の、有用性とはかけ離れたところに、彼の行動の意味がある。ライターそのものに意味があるのだ。使えるからではなく、ただ持ち帰ることに意味があるのだろう。
       彼が女の子を抱き続けてからもうすぐ1年が経とうとしているが、そうなる直前、彼から話を聞いた。
      「失恋したよ」
       いつものように彼を家に上げて、のんびりと飲んでいると、彼がポツリと、聞いてもいないのに自分のことを語りだした。横顔を見ると、なんとなく頬が赤くなっているのがわかった。珍しく、彼が酔っていたのだ。
       まず恋をしていたという事実を知らなかったのにいきなり失恋したといわれて、私はどう反応すればいいのかわからなくなった。彼は私が何もしゃべれないでいるのに気付いたのか気づいてないのか、返事を待たずにしゃべり続けた。
      「綺麗な人でさ。ああ、こんな綺麗な人を抱けるなんて、死んでもいいやって思ったよ」
       完全に文脈を無視した、唐突な語りだったので、最初は抱くといわれても何のことかわからなかった。今だから驚かないでいるが、最初に彼の口から性交渉についての話題が上がったときは、私も相当驚いたものである。
      「抱けたの?」
      「ああ」
      「どうだった?」
       顔を赤らめた彼はベッドに横になり、こちらから表情が見えない向きに転がった。わざわざ表情をうかがいに行く必要もなかったので、私はひたすらに、寝そべった彼の背中を見て淡々と会話を続ける。彼は自分の話ではないかのように、まるで本を朗読しているかのような調子で、私の質問に答えた。
      「最中は幸せで胸が膨れて弾け飛んでしまうんじゃないかと感じ、終わった後は、むなしさで胸がつぶれてしまうんじゃないかというほどに苦しかった」
       ずいぶん伸縮自在な心をお持ちのようで。

       彼はその日、そのまま寝てしまった。こっそり寝顔をのぞくと、赤かった顔はさっぱりとしていて、すうすうと寝息を立てるその表情は、どういうわけか幸せそうだった。彼は失恋を、していたはずなのに。
       彼には気になる女性がいたらしく、その人と肉体関係を一度だけ持った。けれど、その女の人には恋人がいるのかどうかもわからない状況で、それ以降彼と関係を持つことはなくなってしまった。彼を恋人にできるかどうか判定するために寝たのか、あるいは一夜限りのお遊びだったのか、そもそも遊びですらなかったのか、今でもわからない。
       年上の人だったらしいが、私にはその人が彼にとってなんだったのかはわからない。学科の先輩、サークル関係、あるいは、本当に一目惚れ。どれだけ綺麗な女性だったかはわからないけれど、当時からモテて女の子に困っていなかった彼が言うのだから、相当な美しさだったのだろうということは容易に想像できる。
       後日、またこの話題を振ってみた時、あの日よりも状況整理ができていたであろう彼はこういった。
      「終わったあと、俺がシャワーを浴びて戻ってくると、あの人はソファーに座ってタバコを吸っていた。下着だけを身に着けて、ベッドからソファーに移動した彼女の背中はどういうわけか、何も着ていなかった、ベッドの上での彼女よりもずっと美しかった」
       酒を入れないと彼は話をしないだろうということで、私はこっそり彼の分だけお酒を強めに作っておいた。顔色は変わっていなかったが、頭の中がどうにかなっていたようで、彼は流暢に、その時のことをしゃべってくれた。
      「耐え切れず俺は、そんなあの人の背中をぎゅっと抱きしめてみた。彼女は振り返って俺の頬にキスをすると、タバコの火を消して、思い切り俺の体を引き寄せた。俺は彼女の引力にこたえる形でソファーを飛び越えて彼女の体の上に覆いかぶさり、妖艶な光を放つ唇を塞いでみた。しばらく重ねたままの時間が続いたあと、俺の中に艶やかな蛇が侵入してきた。蛇は俺の口内を這いずり回ると、タバコの香りをほんのりと含んだ粘液で俺の内側を壊していった」
       人は誰しもが、酔うとこんな風にしゃべるのだろうかと少し気になりながら、私は彼の話を、特に相槌を打つわけでもなく、黙々と聞いていた。なんとなく彼の分のお酒を飲んでみると、口の中がしびれるような気分がして、なるほど少し強くしすぎたかと後悔をした。
      「俺たちはベッドにはいかずに、そのままソファーで体を重ねた。その間、ほとんど蛇は俺の中にいた。俺の一部が彼女の中に入り込んでいる。蛇が俺の孔を楽園に変える。身体の構造上、俺が彼女の中に入っている、俺が彼女のことを犯しているはずが、むしろ俺は彼女に飲み込まれているような気分になった。俺自身が、彼女に犯されている感覚に陥った。俺の中に彼女が入り込んで、その存在を、毒が体を蝕んでいくがごとく、俺の心の中で広がっていったのだ。俺は池に飛び込むのではなく、蛇の腹の中に自ら飛び込んでいったカエルのようだった」
       ここまで喋って彼は、疲れを感じたのか少し口を開くのをやめて、きつめのアルコールを口に含む。水分補給にしてはいささか難があるその酒を喉に通すと、彼は少し声色を落として話をつづけた。目は、うつろである。
      「そう、俺は、蛇に飲まれたのだ。だが、蛇の中は孔だった。飛び込んだのが池であれば、俺の体はぬめりとした液体に覆われていただろう。けれど彼女の中身は、中身がなかった。口の中に入っていったカエルを消化するために体液を出すでもなく、そこにあったのはただの無の空間だった。俺以外に、何もなかった。瞳を閉じれば、そこが彼女の中であるということさえ忘れてしまいそうなほど、そこには俺以外の何物も感じなかったんだ。どうやら彼女は、俺というカエルを胃の中に落とし込みつつも、俺を食料として認識すらしていなかったようだ。俺は絶望した。中に入っていた時は、そのむなしさに抗って幸福と快楽を享受していたが、胃の中から飛び出して、蛇が眼前からいなくなった次の日、俺は蛇よりも恐ろしい、虚無感に襲われた」
       その時の彼の表情が、なんだかとてもかわいそうで、色っぽくて、壊れそうで、生き生きとしていて、美しくて、私は思わず、彼の頬に小さくキスをした。そして彼がこちらを見ると、なんだか恥ずかしくなって、私は部屋の電気を消すと、ある限りの力で彼をベッドに押し倒し、その唇を塞いだ。何をしていたのかは覚えていない。ふたりで少し、お互いの背中や首筋を撫でまわし、舐めまわしてから、私と彼は繋がることはせず、私のつくった強すぎるアルコールに意識を壊され、そのまま翌日の昼過ぎまで、一度も起きることなく、10時間ほど爆睡した。



       おそらく彼は、あの日のことを覚えていない。彼を犯しかけた私ですら、あの時のことを思い出したのは、2か月ほど後になってからだったのである。
       もはや味や香りを楽しむことなく、ただ惰性で吸うだけになってしまったタバコを口から話、私は彼にこう言った。
      「でも結局、女の子たちは性的な快楽、あるいはロマンティックな言葉と一緒に、君のことも求めていたんだと思うけど」
       彼女たちは自身の中で生まれる感情やエクスタシーだけではなく、自分の外にある存在として、彼のことを心から、切実の求めているのだと思うのだけど。
      「さあ、どうだろうな。もしそうだとしても、俺はちゃんとその瞬間、彼女たちの内側に入り込むことで、どういった欲求も満たしてやれてると思うんだが」
       彼女たちは、それでいいのだろうか。一目惚れか、長い恋か、あるいはお遊びか。それはわからないが、彼女たちは彼とその時繋がるだけで、満たされているといえるのだろうか。彼女たちは、彼によって幸せになっているのだろうか。
       これは別に、彼が女の子たちを幸せにできていないならば彼は悪だとか決めつけるために考えているのではない。単純に好奇心として、彼に抱かれた女の子たちと、彼について考えたい知りたいだけなのだ。
       彼の心にもやもやを残した女の人がいた。そして今彼は、その女性と同じような存在になりつつあるのかもしれない。自らの体を犯しつつも、決して自分を満たしてくれないような、けれど、彼女たちの中で彼の存在が膨れ上がっていくような、少しずるくて色っぽく、エロティックなお友達。
       眠たくなってきたのか、彼がもそもそと布団の中に潜り込んでいくのが見えた。私はタバコをくわえて少し黙ると、煙と一緒に彼への言葉を吐き出した。
      「結局君は、あの人を抱けて、幸せだったのかな」
       布団のせいで少し籠っているが、はっきりとした口調で彼から返答が来る。
      「そんなん、幸せだったに決まってるだろ」
      「そっか」
       彼は眠った。
      「じゃあ、君が抱いた女の子たちも、きっと今、幸せなんだろうね」

       いろいろな女の子と関係を持っている彼であるが、性欲過多であるというわけではない。彼は性欲の基づいて女の子を抱いているわけではない。彼は自らに対する需要に対して応対しているだけなのである。性欲のままに抱くよりは綺麗に見えるが、性欲に従っているよりも彼の方が残酷であるように見える。
       私が一度彼を襲いかけたことを除けば、私と彼が肉体的に結びついたことは一度もない。彼自身にそもそも利己的な性欲がないからか、私に女としての魅力がないからかはわからない。どっちかかもしれないし、両方かもしれないし、あるいは、それ以外に何か、理由があるのかもしれない。
       ぼけーっとタバコを吸っていたら、部屋の中が煙たくなっているのに気付いた。むせ返るほどではない。ただ視覚的に、もやっとしているだけだ。視線を枕の方に落とす。彼が寝ていた。部屋は明るい。ああ、このままでは、せっかく寝れた彼が目覚めてしまうかもしれない。
       私はタバコの火を消して、部屋の電気を消そうとする。電気のスイッチに指を乗せた瞬間、なんとなく閃いてしまった。
       なるほど。私はタバコを吸っているから、彼にとっては手の届かない存在になってしまっているのだな、と。彼がかつて愛した女性はタバコを吸っていたが、その点で私はその女性と共通しているのだ。
       彼はなぜ、ラブホテルのライターを収集しているのだろうか。あの日、彼が好きな人を抱いたあの日に持って帰ることができなかったもの。それを忘れないために、満たすために、彼は女の子を抱くたびに、あの人のことを忘れるため、そして忘れないために、ライターを持って帰ってきているのだ。あの日手にできなかったものを、今の自分は手にすることができる。その自覚のために、ライターの存在は必要なのだろう。
       ライターを見るたびに、そして私がタバコを吸っているのを見るたびに、彼はあの人のことを思い出す。煙は、彼の思い出を思い出として現実から隔離するためのヴェールなのだ。決して手が届かない存在。それを隠すための煙。彼はきっと、タバコを吸った女性に触れることができない。
       ふと、禁煙でもしようかと思ってしまった。なぜかはわからないが、私がタバコをやめれば、彼に抱いてもらるんじゃないかという思いが胸の内に芽生えたからだ。別に彼のことを愛しているわけじゃないし、彼に抱かれたいわけでも、性的に欲求不満だというわけでもない。なのにどうして、私はいま――。
       タバコを吸えば、私は彼にとっての幻想になる。タバコをやめれば、私は彼に抱いてもらえるかもしれない。わからない。けど、どちらもおもしろそうだ。それ以外の感情がない。心の底で彼に抱かれたいと思っているわけでもなく、ただなんとなく、好奇心でそう思ってしまっただけなのだろう。そう思うことにする。
       彼の隣には、少しだけスペースがある。もう一人男の人が入るには厳しそうだが、私の体くらいなら、容易に収まりそうだ。
       私は電気を消して、暗闇に目が慣れるのを待ってから、ゆっくりとベッドの中に入る。彼の隣に寝転んで、私は闇の中ぼやけて見える彼の輪郭をそっと手の平でなぞってから、頬に短くキスをした。
      「おやすみ」
       目をつむって、彼の寝息に合わせて呼吸をする。薄く目を開くと、タバコの煙が、白く残っているように見えた。

      スポンサーサイト

      2018.01.26 Friday

      0
        コメント
        コメントする